一色義直 (幸手一色氏) (Yoshinao ISSHIKI (Satte-Isshiki clan))
一色 義直(いっしき よしなお、生年不詳 - 寛永20年10月11日 (旧暦)(1643年11月22日))は江戸時代の交代寄合・旗本。
一色直朝の子。
母は梁田高助の娘。
宮内大輔。
弟に一色氏頼、一色輝季、渡辺政義(武蔵国上川崎村(現在の鷲宮町)名主)。
子に一色照直、一色直住(早世)、一色直為室、一色直氏 (幸手一色氏)。
天正19年(1591年)、徳川家康に仕え、幸手5,160石を賜り、大身旗本(高家とも)となり旗本幸手一色家の祖となった。
慶長年間初頭に隠居し、家督は嫡男の照直が継いだ。
関ヶ原の戦いの後、養老料として1,000石を賜る。
慶長12年(1607年)に照直が嗣子がないまま病死し、そのため、義直は再び家督に復し、嗣子となるべき血族を探し養うよう恩命を受け、外孫の杉浦直為の子の一色直氏 (幸手一色氏)を養子にした。
ただし、義直の養老料、照直の加恩分は収公された。
慶長19年、大坂の役では、伏見城を守備した。
また、居所は知行地のひとつであった下総国相馬郡 (下総国)木野崎村にあった。